NO 1119
人の記憶。
2012 4 / 4(水)
各地に被害をもたらした、今回の低気圧通過でしたが、皆さんお住まいの地方はだいじょうぶだったでしょうか。長野県内でも伊那谷のほうや松本周辺では、被害がでたようですが、大町は大きな被害が出た地方と比べれば風雨ともに、
小さかったようです。そして昨夜からは予想どおりに雪降りになり、今日はほぼ一日中吹雪いているような、肌寒い天気になりました。日中の最高気温は1度
台で、市街地の北側にある我が家で、降雪は8センチほどでしょうか。今年は確かにいつまでも寒さが続いています。
ところで、今朝は医者通いで、待合室で待っていると、みなさん口々に、こんな時期にこんなに雪が降ったことはないとか、異常気象だとか・・・ かまびすしいこと、かまびすしいこと。夕方床屋さんに行った際も、マスターがおっしゃるには、どのお客さんも今年の大町は雪が多かった、多かったとかまけるそうだ。(※かまけるとは・・・嘆くとかぶつぶつと言うといった意味の方言)
はたしてそうでしょうか。答えはいずれもノーといった方が正解だと思います。25年ぐらい前には、5/1ごろに白くしたことがありますし、4/20ごろまでなら、度々白くしています。最近なら一昨年の4/17には
なんと17センチも降っていますし、平成18年の4/21にも5センチの積雪を記録しています。今日の積雪なんて、まったく珍しいものでもなんでもありません。また今冬の累計降雪でも、今日までで、我が家で290センチであり、これも少なめの部類です。(累計で400センチ近くなると、大雪の冬といった感覚です。) おそらく今冬が大雪に思われる人は、低温が続いたおかげで、1月から3月上旬まで、市街地の北部では少雪にもかかわらず、常に20センチ程度の積雪があったということ。それに直近の3月が割りに降雪量があったことから、そのように感じられるのではないでしょうか。またテレビの影響も大きいかもしれませんね。連日のように県内でも超大雪だった飯山地方などの映像が県内ニュースに流れるものですから、自らもそんな気持ちになってしまうのでは・・・・
かように、人の感覚とか記憶とか印象なんてあいまいなものなんだと思います。自分も日記に降雪量とかを、記録しているので、こんなことを言えるのですが、記録をとっていなければ、きっと皆さんと同じだと思います。でも
“人の噂も七十五日”
じゃないですが、人間さっさと忘れてしまうからいいのかもしれませんね。 ただし七十五日どころか、七百五十日たっても決して忘れてはならないことも、たくさんありますよね。今なら東日本大震災のこととか・・・
3月の終わりに、もうなかなか機会もとれないだろうと思って、思い切って子供たちも連れて、大震災の被災地に家族で行って来ました。今問題になっている震災がれきにしても、それはこまかに分別作業をされていました。
全国各地への、受け入れ要請も、分別うんぬんでないことはわかっているんですが・・・ なんとか英知をしぼっていただきたいものです。また市街地からまったく離れた場所に、ぽつんと仮設住宅があったりして、それも心配になってきます。まだまだ復興へ向かって、なにも進んでないといったのが、偽らざる状況でしょうか。いっぽうそんな中でも、
湾にはワカメやカキの養殖イカダが復活してたり、仮設の商店街や店舗もできてきており、その周囲だけでも活気が見られたのが、妙にうれしかったです。銘菓『かもめの玉子』
をおみやげに買い求めるにも、躊躇することなく、仮設店舗に入れて、なんか自分達も元気がでてきます。
この岩手行きで、うちの子供たちもきっとなにかを感じ取ってくれたはずです。まだまだ、とても忘れ去られるものではありません。これからもなんらかの形で絆を結んでいかなければ、ならないことを実感した旅になりました。
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市内は雪化粧。市街地の“大黒町のシダレザクラ”もまだまだつぼみも付けていません。今回の寒波もあって、気象協会の大町公園のサクラ開花予想も、1日延びて4/22に変更されました。(4/4) |
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陸前高田市では、歌手の千昌男さんが生まれた内陸の竹駒方面に仮設店舗がだいぶ営業を始めていました。 |
震災がれきは今でも、あちこちで分別作業が続いています。どこへ行ってもうず高く積まれたままです。 |
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釜石湾も、信じられないくらいの静けさ。泊まったホテルのお客さんは復興の職人さんが中心。 |
壊滅した大槌湾にも、少しだけ漁船が復活してました。何と言っても漁業が基盤の三陸です。 |
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釜石で見つけた震災前からある、銘菓 “かもめの玉子” の看板。 |
壊滅状態の陸前高田市にも、“かもめの玉子”の仮設店舗が元気に復活。春の新商品も登場。 |
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