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NO144  寒中お見舞い申し上げます。結構寒い冬になりました。

2005/01/25  

 大寒も過ぎて一月もあと一週間余り。師走以上に早い一月でした。なかなか更新できなくてアクセスしていただいた方には、いつものことながら申し訳ございません。遅くなってしまいましたが本年もよろしくお願い申し上げます。初春の晴れ渡った北アルプスの写真をお見せしたいと思っていたら、あっというまに一月も終わりです。ちなみにこの間にも、岳のほうは快晴だったときもあったんですが中間に厚い雲がかかったり、正月早々に小旅行に出かけたりで、すっかり写真を撮りそびれてしまいました。ようやく放射冷却でマイナス13.6度まで冷え込んだ1月24日にたっぷりの雪におおわれた北アルプスを撮ることができました。今冬はクリスマス頃まではほんとうに暖かい日が続いて心配されたんですが、年末からは一気に冷え込み雪も降り出しました。大町もまあまあ雪も降っています。ときどき適度に降る雪は、雪かきがたいへんいい運動になって運動不足のおりいい汗をかくことができて私は好きです。来週は早くも立春ですがまだまだこれからが冬本番です。

  ところで毎年今頃の気象解説でよく言われるのですが、日本の気象台で記録された国内最低気温は103年前の今日、1902年1月25日に旭川で記録されたマイナス41.0度なんですね。とても想像できる温度ではありません。近年は大町でもマイナス17度ぐらいが関の山です。そしてまさにこの大寒波が日本を襲ったときに起きたのが、新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』であまりにも有名な陸軍青森連隊による日露戦争にそなえた雪中行軍だったんですね。1月23日から27日までのあいだに199人凍死という遭難史上類を見ない大遭難はそれほどに激しい猛吹雪、極寒のなかでのものだったのです。平和な今そして暖かな部屋の中では想像できるものでもないし、あれこれいうのもおこがましいと思います。103年目の今日、平和に感謝し兵士たちの冥福を祈るばかりです。30年も前に読んだ小説ですが、いろんな意味でもう一度読み返してみたい本です。

  103年も前というとずうっと昔のように思われますが、その3年後の1905年(明治38年)にある施設が開業いたしました。みなさん何だと思いますか。        答えは白馬岳の白馬山荘です。そう今年開業100周年なんです。立山の室堂山荘のように立山への信仰登山者のためにはるか昔からの小屋もありますが、ウェストン以降の近代登山者を相手にした山小屋では断トツの歴史をもった白馬山荘です。山小屋の先達としての重みを感じます。ちなみに私共では種池山荘がいちばん古く1923年(大正12年)と云われております。山小屋の歴史も近代登山の歴史も100年を経てその在りようも変化していくのでしょうが、21世紀も自然と共存し北アルプスの素晴らしさ登山の素晴らしさをを伝えていきたいものです。みなさんもマナーレス登山なんてことのないようにしてくださいね。今年も事故のないようお気をつけて各地の山々へ登ってください。“災”の年は昨年で終わりにして今年はどなたも“安”の年か“穏”の年になってほしいものです。


久しぶりに北アルプス全山が姿を見せてくれました。(1/24)

冬場でも黒く岩肌が目立つ五竜岳も今朝は真っ白です。

爺ヶ岳の東面もアップにすると険しいですね。

再測量で3000mに1m足りなかった剱岳ですが、気持ちは3千m峰です

夏山が恋しい方へ。たおやかなる蓮華岳の稜線。足元にはコマクサが